バトン承継コンサルタントの浅野泰生です。
今回は、時事について考えたことをお伝えいたします。
公然と批判するという行為の意義
今日は、最近話題の“加藤の乱”について。
加藤の乱というと、総理総裁候補といわれていた加藤紘一元代議士が、所属する自民党に反旗を翻したつもりが未遂に終わったあれ。
後に自民党総裁にまでなった谷垣禎一元代議士に「大将なんだから」と引き止められていたのがつい最近のようにも思えますが、調べてみると20年も前のことなんですね。
振る舞い一つで世論まで味方につけることができるのが政治家なんだろうけど、大きく出た割には尻すぼみの印象しか残せないと一気に政治生命まで断たれてしまうと思うと、怖い世界ですね。
それからすると、私は実に恵まれた環境で仕事ができている。
こんなことを喜んでいてはいけないか。
リスクとリターンは等価交換だから。
今日話題にしたいのは、極楽とんぼの加藤浩次の方。
2年前の闇営業問題で、吉本興業のトップに噛みついたもの。
エージェント契約なるものを結びなおし、ギャラの取り分を変更したと報道されている。
そして、この度契約を解除されたとのこと。
朝の帯番組も見事なコーディネートだが、私としてはハゲづらを被って女性アイドルをジャイアントスイングでブンブン回していた頃に戻って欲しいが(笑)。
いずれにしてもその道で超一流まで登り詰めた人に違いない。
ただ、あの加藤の乱は、思い返してみるとどうだったのか?
所属タレントと会社の関係は一般の会社とは違うので、厳密には当てはまらないかもしれない。
しかし、自身がMCを務める番組で公然と所属会社の社長を批判することは、会社側にとっては面白いもんじゃない。
好感度の高い人気タレントが発する言葉は、芸能界の事情を何も知らない一般人にとっては、すべてが真実だと思わせてしまうほどの重みがある。
一方、会社側は闇営業問題で社会的に非難されている最中だったので、反論もしにくかったはず。
言い返せない状態で言われっぱなしであることほど、腹立たしいことはなかったのではないかと思う。
私自身、2年前に公然の場で寄ってたかって吊し上げられた経験があるので、このケースではどうしても会社側、社長側に肩入れしたくなる。
もし私が同じ立場におかれたらどうしていたか?
では、私が同じ立場ならどうしたか?
会社に不満があるなら、こっそり社長とアポをとり、一対一での話し合いを申し込む。
そして、マスコミに気づかれないように、自分の番組でもMCに徹して感情を露にしないようにしただろうか…
昔の私なら、味方を募り、数で圧倒し、相手を完膚なきまでに叩きのめすような策をとっていた。
元来私は、比較を好み、勝ち負けをはっきりさせたく、勝負になるからには完膚なきまでに相手を打ちまかしたいと思うタイプ。
ただ、それでは志をもって物事を遂行していくことができない。
自分一人でできることなどしれているから。
大きなことをしようと思ったら、人の力を借りなければならず、人はそれぞれ感情を持っている。
論理的に間違っていないことも感情がついてこなければ人は行動に移せない。
「支えられてきた」という恩義
また、自分に実力がつき社会から認められるようになると、多くの人が自分だけの力で成長してきたかのような錯覚をしてしまう。
私もいろんな人の支えがあって、人は大きくなれるんだと思えるようになってきた。
(50歳を手前にしてやっと…)
今はテレビにでなくとも、自作の動画を撮って配信すればマネジメントの力を借りずとも売れることもある。ただ、これまでの芸能界では、所属事務所の果たす役割は大きかったに違いない。
ということからすると、屈辱的な仕打ちをされた会社側が、一年経過したこの時期に契約を解除することも納得できる。
これが“加藤の乱”から契約解除にいたる報道を受けての所感です。
最後に、それにしてもこの吉本興業にしろ、最近独立するタレントが多いジャニーズにしろ、数々の問題を引き起こしても政権与党に留まっている自民党にしろ、いずれも人材の宝庫ですね。
一人二人と大物が抜けても次から次へと実力者が出てきます。
われわれ経営者として学ぶべきは、これらの組織のリクルーティングや育成についてかもしれませんね。