バトン承継コンサルタントの浅野泰生です。
今回は、最近行った研修で考えたことについてお伝えします。

映画を見て感じた「今日」の大切さ

先日、鹿児島の知覧に行ってきました。
とある団体の一泊二日の研修に参加するためです。

知覧という場所は、76年前に若い兵士が特攻隊として命を捧げたところ。
歴史から学べるものがあると思い、現地まで赴きました。

鹿児島空港で、この知覧を舞台にした映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」を観ることからスタート。

2時間があっという間。
明日飛び立つ設定の登場人物が何人も描かれていました。
それぞれの登場人物に自分自身を重ね合わせて観ていたので、何度も何度も感情を揺さぶられました。
実際に特攻した兵士の中には17歳の少年もいたようです。

どんな思いがあったのか、自分が当事者だったら最後の一日をどういう心持ちで過ごしたであろうか、さまざまな思いなのか、感情なのかが体内をめぐって普段とは違う疲労感を抱きました。

そこで思ったことは、時代背景は違えど、最近これほどの緊張感を持って仕事ができていたかということ。
もっと言えば、生きていたかということ。
今日が終われば、必ず明日がくる前提で、平々凡々と日々を過ごしている自分がここにいることに気づきました。

普段の生活で「死」を意識することがない。
だからといって「死」を意識しながら生きていくことも、私には性に合わない。
五体満足、50手前にして大きな病気がないことを幸せと捉えて、今日できること、自分にしかできないことをコツコツとやっていこうと思いました。

「感謝」という言葉の本当の意味

鹿児島空港を出たあとは、鹿児島の名所をバスで巡り、戦時中、軍の指定食堂であった富屋食堂をルーツにもつ富屋旅館に移動しました。

そこで沖縄戦についての講義を聞きました。
沖縄戦では1036名の兵士が尊い命を失った。そのうち439名が知覧から飛び立って帰らぬ人となりました。
この数が多いか少ないかは人それぞれの解釈になります。
ただ、事実として認識することは大事だと思います。
また、その事実を知って、それぞれがどのような感情を抱くかも人それぞれであっていいと考えました。

ある方が「特攻隊の人たちがいたから、今の日本がある。感謝している」と言っていました。
私は「感謝だけ」では済まされない、複雑な感情が正直ありました。

話はズレますが、最近「感謝」という言葉が乱発されているように思います。
アスリートなどのインタビューで「感謝しかない」という言葉を聞くたびに「そんなはずはないだろう。別の感情や思いもあるだろう」と思ってしまうのは、私の精神状態が未熟なためなのでしょうか?

そんなことを考えているうちに、富屋旅館の女将さんがお話をしてくれました。
たくさんの学びを得たが、その中で「感謝」についての話がありました。

「感謝」とは、相手の「心」を「射」抜くように「言」葉で伝えること、だと。

「感謝」という言葉の本当の意味が分かったような気がしました。

ここで思ったことは

①感謝は相手に伝わってこそ意味をなすこと
②言葉やカタチで示さないと感謝にならないこと

これらは忘れないようにして実践していきます。

今回、知覧は二回目だったが、その時々の自分の置かれた立場によって感じ方も違うことにも気づかせてもらいました。

また機会をつくって行ってみようと思います。